<インタビュー>「俺がやらなきゃ誰がやる」人力車にかける粋の心

白河観光人力車 新風亭 遠藤良一さん

 3月19日、観光を盛り上げようと福島県白河市で人力車を押している遠藤良一さんにお話を伺った。震災が起きた3年前の3月11日、遠藤さんは福島県富岡町に住んでいた。原発事故の被害から逃れるため、翌朝自宅を後にし、10㎞ほど離れたところに住む親せきのもとへ向かった。その後、近所の人たちの呼びかけもあり、 親せきと共に郡山市の浅香高校へ避難した。高校では教員が窓口で受け付けをしており、そこでの紹介から日本町の避難所へ避難した。当初は「2~3日もすれば自宅へ帰れるだろう」と思っていたが、3月15日から7月30日までの約4カ月間、遠藤さんは避難所で過ごすこととなった。その避難所には453名の方が避難していたと言う。

 日本の伝統文化である人力車の粋な姿に惚れ、2009年頃から地元富岡で人力車を押して案内人をしていた遠藤さん。2011年の7月、避難所を離れ内陸の白河市を拠点に再び人力車を押すことを決意した。現在では白河の事務所に9台の人力車を所有し、日々観光客を載せて市内を案内している。人力車へのこだわりも強く、長崎や岐阜から人力車を買い付けている。「日本の伝統文化である人力車の魅力を伝えたい。そして、何よりも人力車に乗っているお客さんの笑顔が好きだ」遠藤さんを動かす原動力は、その強い想いにあると言う。

 遠藤さんは、人力車の活動だけではなく、市から依頼を受けて連載の記事を半年間執筆し、和太鼓も本格的に演奏している。「おれがやらなきゃ誰がやる」堂々と語る遠藤さんの表情が印象的だった。お話を伺っていると私自身、遠藤さんの熱い思いに何度も胸を打たれた。

 また、福島の復興状況や原発のことについて尋ねるとその表情は一転して、険しい顔つきになった。「やはり、3年経っても何も変わらない。我々はスリーマイル島チェルノブイリの歴史から学ばなくてはならない。メディアも真実をつかみ、それを報じてほしい」と語った。遠藤さんは10年ほど原子力発電所で作業員として働いていたこともあり、原発のしくみや放射能についても知識を持っているようだった。「地元富岡へは、もう戻る気はない」と語るのも、放射能の恐ろしさを知っているからだ。(福島県富岡町の放射線量は現在2.809μ㏜/h。遠藤さんが現在住んでいる白河市は0.111μ㏜/h。 NHK福島放送局 3月21日参照)南海トラフ巨大地震の発生による被害が懸念される中、「災害は忘れた頃にやってくる。南三陸町から学んでほしい」と遠藤さんは語った。

 今回の取材を通じて、私自身たくさんのことを遠藤さんから学んだ。「本質を見極める為に必要な目を養うには、日々の努力の積み重ねや物事へのこだわり、そして情熱が大切。どんなに厳しい状況であっても諦めない姿勢から優しさが生まれる」真剣に語る遠藤さんの眼差しは被災者という立場から、自ら幸せを掴もうと諦めずに努力していることを確かに物語っていた。(浜田寛子)