<書評>『あのころはフリードリヒがいた』(岩波少年文庫・2000年)

書評『あのころはフリードリヒがいた』
ハンス・ペーター・リヒター著 上田真而子訳 岩波少年文庫 (2000)
 第二次世界大戦直前のドイツ。ヒトラーが政権を握り、ユダヤ人排斥を進めていく過程を、ユダヤ人少年(フリードリヒ)を友人にもつドイツ人少年「ぼく」の視点から描いた児童書だ。児童書ならではの読みやすさがあり、集中して読めば一日で読破できるだろう。しかし、この本が突きつける現実はあまりにも暗く、希望がない。
 
 貧乏な「ぼく」の家庭と裕福なフリードリヒの家庭。経済的な差はあっても、同じマンションに住み、同じ学校に通い、平和で幸せな日々を送っていた。しかし、ヒトラーの台頭により徐々に雲行きが怪しくなっていく。ユダヤ人のフリードリヒは同じ学校に通うことが許されなくなり、やがてマンションからも追い出されてしまう。大切なものや生きていく場を少しずつ失っていくフリードリヒに心を痛めながらも、何もしてあげられない「ぼく」とその両親。
 
 「ぼく」の父親は状況が決定的に悪化する前に国外逃亡するよう、フリードリヒの父親に勧める。その後もフリードリヒの家庭に出来る限りの援助をする。フリードリヒが転校しなければならなくなった際、担任の先生は、人はみな平等だと児童に語り掛ける。他にもささやかな善意でフリードリヒを気に掛ける大人たち。しかし、その程度の善意ではフリードリヒを救うことはできなかった。
 
 フリードリヒを助けられなかった彼らを責めることは簡単だ。しかし、ヒトラーに逆らうことが命を捨てることにほぼ等しかったあの時代に、何をしてあげることができただろう。一方でその罪をヒトラーひとりに押し付けることもまた、間違っている。ヒトラーは選挙で選ばれた首相だった。また、懸命に純粋に生きようとするユダヤ人少年を実際に排斥したのはドイツ国民一人ひとりだった。どんな言い訳をしても、フリードリヒを始めとする多くのユダヤ人の幸せな生活や命を奪ったことを正当化することはできない。
 
 戦争のことはよく分からない、と多くの人は口にする。私も戦争というものの全てを理解しているわけではない。「ぼく」やその両親に、「あなたたちはこうすべきだったのだ」と安易に言うこともできない。それでも、この本によって世の中の大きな流れに翻弄された二人の少年やそれを取り巻く大人たちの生き方から、感じることや考えることはたくさんあるはずだ。(池谷歩実)

 

あのころはフリードリヒがいた (岩波少年文庫 (520))

あのころはフリードリヒがいた (岩波少年文庫 (520))