上尾歩のキネマ論評・写真は未来への罠である

横道世之介 2013年公開 監督・沖田修一

 大学生活において何が大切か、もちろん人それぞれだが、私の場合何をしたかではなく、何を残したかであると思う。何をしたかは自分の思い出の中に、何を残したかは、自分以外の人の思い出にどれだけ足跡をつけられたかを指す。

 旧友に、ふとした瞬間に思い出してもらえるような存在になるには、どうすればいいんだろう。

 なんとなくそんなことを考えてしまう映画、『横道世之介』が私は好きだ。世之介という学生がどんな大学生活を送ったか、ざっくり言うとそういう映画だ。

 

 この映画の面白いところは、世之介の過ごした大学生活が、その友人やガールフレンドの記憶として描かれている点である。彼はいつも誰かと一緒にいて、所々で大人になった友人たちが世之介を思い出すシーンが挟まれる。普通なら1分、2分の回想シーンがこの映画では本編として描かれているのだ。大人になってもずっと関係が続いていくのは、多分とても素敵なことだと思う。

 大人になった元ガールフレンドのもとに、学生時代に世之介が撮った写真が届くシーンがある。昔の自分、昔の風景が写真の中に切り取られていて、彼女はまじまじと写真を見た。大人になった二人はもう付き合っていない。それでも、写真の中にいる世之介との思い出を回想しては感慨にふけっていた。

 単純かもしれないが、私はこの映画を契機に愛器とするカメラを買った。そう、映画に出てくる型を。そして、写真を撮り始めて以来、「写真は未来への罠」であると思った。写真を見た時、思い返すのは写真の中の情景とその時のカメラマンだ。写真を機に、私のことを思い出してくれるとすごくうれしい。つまり何が言いたいかというと、みんな写真を撮ろうということである。