上尾歩のキネマ論評・真夜中を走る二人の物語

真夜中のカーボーイ
1969年日本公開
監督・ジョン・シュレシンジャー

 僕はモラトリアムを、何をしても、しなくてもいい時期だと思う。そして、その象徴が僕たち大学生だ。面倒くさい授業はサボればいいし、やりたいことがあれば時間も作れる。逆に、自分から何もしなければ本当に何もないのだと一回生の時に切に感じたし、先輩も口々に、やりたいことをやれと言う。

 

 主人公は大学生では無いが、モラトリアムを生きた映画がある。「真夜中のカーボーイ」の主人公ジョーは、田舎でくすぶってられるかと、都会に似合わないカーボーイ姿でふらふらとニューヨークに上京する。彼はいろんな女性を誘惑し、ヒモとなって生きようとするが、思うようにいかない。そんな時、ラッツォという男が現れ、共に過ごす内に友情を深めていく。そして、ジョーのヒモ稼業も波に乗り出すのだが、ラッツォは徐々に体調を崩してしまう。

 大学一回の春休み、僕は地元の教習所で教官に恵まれた。彼は、世界共通言語で地球一周をする夢を持つ、物知りな人だった。彼は学生時代、同い年の人の価値観を否定して、年上の友人ばかりだったらしい。縦列駐車の練習中に、「同い年の子の価値観を否定しないようにしないと」と言われた。年上の人は先に卒業をしてしまうわけで、残されてしまった彼の教訓なのであろう。彼はとても優しい話し方の人で、まさかそんな過去があるとは思ってもみなかった。

 映画の終盤、体調を崩したラッツォに、薬を買ってもやれないジョーはこう言った。「金を稼ぐ簡単な方法を見つけたんだ、外で働くよ」そう言って彼は、カーボーイの服装を全部捨ててしまう。まっとうに働くことを決意したジョーは、新たな土地に向かうバスの中で、行きとは違ってしっかりと前を見据えていた。

 年上の友人が卒業した時の教官の気持ちは、僕には分からない。しかし、マイナスの気持ちであったことは簡単に予想がつく。春休みも明け、免許を取得した後の僕は、同い年の人と多く話すように心がけた。同じ目線での会話とはなんと楽しいことか。春休み、恩人の教官にジョーの様に前を見据える手助けをしてもらった。今回の映画を初めて見たとき、教習所での出来事をまず思い出した。