<中東周遊取材>パキスタン・戦火と貧困から逃れてきたパシュトゥーン人(森口広大)

(この記事は2014年10月16日に執筆されました)

 パキスタンの首都イスラマバードの一画にひっそりと、泥で作られた家々が軒を連ねている。簡易的住居という意味のカッチー・アバディと呼ばれるその地域には、30年以上も前から、アフガニスタン及びアフガン国境地帯からやって来たパシュトゥーン族の人々が電気もガスも無しに生活を営んでいる。彼らはパキスタン政府の許可なしにこの地域に住んでおり、言わば不法に居住していることになっている。

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インタビューに応じてくれたシェラフマン氏。この後、食事を振舞ってくれた。(撮影=森口広大)

 「私は20年前にアフガン国境地帯からここへやって来た。ソ連に侵攻されて以来続く戦争の中で、どうやって生活できる。今ではタリバンを名乗る兵士たちがやって来て、村に勝手に彼らの旗を掲げ、悪行を行っている。故郷でも武装した者たちが突然家に入り込んできて、人々に銃を向け、誘拐していく。ヨーロッパへ逃げた者もいる。そんな所でどうやって暮らせる。どうやって子供を育てられる。」シェラフマン氏は、ここへ来た理由をそう語ってくれた。彼は現在、ここに家を建て、兄弟と共に路上で果物を売って生活している。1人当たりの収入は1日300~600ルピー程度(約300~600円)。

 「私には3人の兄弟がいて、皆それぞれ子供たちがいる。彼らを学校へ行かせるには1人あたり月2000ルピーかかる。この収入でどうやって彼らを学校へ行かせられる。…故郷のことは全て忘れたよ。ここへ来たのは10歳の時だからね。あそこはもう故郷でもないし、戻る理由もない。でも政府は私らを追い出そうとする。これ以上どこで生活しろって言うんだ。」とシェラフマン氏は言う。

 現在パキスタンには、1978年に始まったアフガニスタン戦争、その後のタリバンに対するアメリカ軍の侵攻、パキスタン国内でのタリバンとの衝突が原因でアフガニスタン、及びその国境地帯から逃れてきた人々が生活している。その数はパキスタン人難民だけでも現在、約100万人(9500世帯)にも上る。

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パシュトゥーンの子ども達(撮影=森口広大)