「見えない」難民問題 響け、当事者の声(浜田寛子)

 日本が初めてクルド人*1を難民として受け入れたのは1980年頃。イラン・イラク戦争の被害から逃れるため、およそ15万人のクルド人が欧州、カナダ、オーストラリア、アメリカ、そして日本を目指した。日本クルド文化協会によると、現在2000人を超えるクルド人が日本にいるとされ、うち半数の1000人は同協会のある埼玉県に住む。今回は同県を訪れ、話を聞いた。難民が抱える課題は多く、問題解決への道のりは長いようだ。

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◆取材に答えるギュルさん(左)。 時折涙を浮かべ、 真剣な表情で自身が抱える課題を話した。(撮影=浜田寛子)

 

社会保障、職探し 依然課題残る

 「居住許可書がなかなか発行されず、10年以上市役所と交渉しています」。7歳の時に日本へ来たメスト・ギュルさん(27)は現在、夫と二人暮らし。仕事は見つからず主婦をしている。まだ難民認定はされていない。

 UNHCR難民高等弁務官事務所)の報告によると、2014年に難民と認定されたのは11人。5000人が難民申請をしていたが、難民と認定されたのはわずか0.2%にとどまった。難民申請をしていても、居住許可を得るのは難しいという。居住許可書が発行されないと、保険証の発行手続きや、職探しなどさまざまなことが困難になる。「市役所へ行っても、『大使館へ行け』とたらい回しにされる」。言葉や文化の壁も大きい。近所付き合いはあっても、知らない人からは冷たい視線を浴びることもある。自国の文化との違いに、戸惑う日々が続いた。

 深刻な問題は職探しだ。女性は、働きたくてもなかなか就職先が見つからない。ボランティア活動などを行い、地域住民と交流をはかることも多い。男性は、建設業か飲食業。街で見る「ケバブ屋台」やトルコ料理店は、実はクルド人が経営していることも多いという。

「まずは現状知って」 訴える難民の声

 「難民の中に、犯罪者やテロリストが含まれているのではないかと不安に思う人も多い。しかし、難民の多くは懸命に今を生きている。彼らとしっかりと向き合い、支援してほしい」。ギュルさんは目に涙を浮かべて語った。

 日本クルド文化協会事務局のチョラク・ワカスさんは、ここ数年で、在京キー局や大手新聞紙でも、クルド難民をテーマにした取材が多くなったと話す。「日本で難民問題を身近に感じる人はまだ少ない。『現状を報じる』ことが解決への一歩となるのでは」と語った。

一枚の報道写真 「難民問題」浮き彫りに

 2014年9月に報道された男児の遺体写真は、欧州諸国に大きな影響を与えた。各国で難民問題に対する考えの違いはあるものの、ドイツを筆頭に解決に力を入れる国もある。

 混迷するシリア情勢。追いつかない難民支援。これから日本はどのように貢献できるのか。いま、問われている。

 

 

*1:クルド語を母語とし、独自の文化を持つ人々。第一次世界大戦に勝利した英仏がオスマン帝国を解体した際、トルコ、シリア、イラク、イランなどに分断された。 推定人口3千万人前後で、国を持たない世界最大の民族と言われる。トルコやイラクでは少数派として疎外されてきた歴史的経緯があり、自治拡大を求め続けている。