ぼくの学校がなくなる 震災から5年 踏み出す一歩(早川秀輔)

 ぼくの母校、那須高原海城中学校・高等学校。地元では「ナスカイ」と呼ばれている。2011年3月11日に起きた東日本大震災の影響で17年に閉校が決定している。1996年の創立から震災までは栃木県の那須町に校舎があったが、現在は東京都多摩市の廃校の跡地を借りて、授業を行っている。ぼくの学校がなくなるのには心が痛むけれど、残った先生と生徒が、那須で得られないものを多摩で得ていることは嬉しかった。

母校のカウントダウン、最後の覇気

 2013年にぼくの学校がなくなってしまうと同級生から聞いた瞬間、呆然とした。元々あった場所に戻れないにしても、ナスカイは場所を変えてでも生き残っていくと信じていたから。しかし、教頭の塩田顕二郎先生は「あと1年でナスカイが閉校になるのはさびしい。来年度は生徒数が9人になるが、人数に関係なく、最後までナスカイらしい教育を全うしたい」と意気込んでいる。また、「生徒が寮生活を通じて、自分を知って、そのうえで周りの人にどれだけ支えられているか理解する。そして、生徒が自分の夢を見つけてそれを実現できる進路に進むためのサポートをする教育を続けていきたい」と語った。多くの先生はもうナスカイを離れてしまったが、残った先生が中心になって、最後の9人の門出を最高のものにしてほしい。

大きくなったナスカイ 消えないもの、手に入れたもの

 震災後「悲しみ」だけでなく、「収穫」もあった。塩田先生は「寮生活を通じて濃い人間性が形成されていたから、震災当日に生徒が一体となって冷静に行動できたのだと思う。ナスカイの教育方針が正しいという確信を得た」と語った。さらに、那須から多摩に移転したから得られたものもあった。学校外の課外活動を通じて、多摩の魅力に触れられたことはそのひとつ。美術鑑賞などの伝統文化学習や、多摩で寮生が自主的に企画を考えた行事を開催するなど、これまでよりも多くの学校や地域の人々と交流できたと誇らしげだった。

 生徒数が減り、私の第二の故郷でもある那須の校舎を失って母校の形は変わっても、教育の根幹は変わっていない。ナスカイのように、僕も前を向いて進みたい。

 

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著名人からの応援メッセージ。日本ハム大谷翔平投手直筆の色紙などが置かれている。f:id:link-hensyubu:20160310195336j:plain旧校舎時代に行われた行事・校舎・学校生活の写真。現校舎内に掲示されている。