<ジャーナリズムの観点から日本を顧みる>福島原子力発電所事故報道を振り返って(平野美優)

 ロシアにて国際ジャーナリズムを学んだ際、日本の災害報道について多くの疑問と意見が寄せられた。海外での報道の実態も聞き、日本の災害報道における様々な問題点に気が付いた。
 今回は、様々な視点から福島原発事故報道を振り返り、今後の災害報道について考える契機としたい。

  最も多くの質問が寄せられたのは、東日本大震災時における、原発問題についてである。広島や長崎の経験から、原子力の怖さを知っているはずの日本人が、なぜ放射能をもっと恐れないのか。再稼働が推進されているが、メディアは放射能の恐ろしさや原発に関する正しい報道を行っているのか、と。

 実際、日本のメディアはどうであったか。事故後、政府及び多くのメディアは、原発から漏れた放射能の量は、避難地域以外「安全」であるかのように語り続けてはいなかったか。1960年代に政府は、原爆の記憶が生々しく残る日本で原子力発電を推進するため、メディアを利用して「原発は絶対に安全」と国民を説得した。チェルノブイリ事故後でさえ、「日本の原発は、旧ソ連のものとは違って安全であり、事故は起きない」とする報告書を出した。この「安全神話」のため、日本の原発の安全基準は、長らく見直されることがなかったのである。今回も例外ではない。いったい何をもって「安全」と言えるのか説明はなく、また、炉内でのメルトダウンについては説明が何度も変わるなど、情報は常に曖昧だった。

 「原子力発電」専門家による、客観的・専門的観点からの指摘も少なかった。事故当時現地で取材にあたったという英国人ジャーナリストは、日本の報道を見て、「大手報道機関のほとんどが、自分たちが知っていること、或いは考えていることを報道しない印象を持った」とコメント。そして、その原因を、政治当局との馴れ合いの関係があるからだ、としている。

 私自身が最も違和感を覚えるのは、メディアにおいて、しきりに「風評被害」が騒がれることである。これは、責任を国民に押し付けるものであり、問題のすり替えではないか。風評被害の原因は、決して消費者にあるのではなく、この人災を引き起こした責任者と、正確な情報を与えないメディアにあるのではないか、と思うのである。それに、災害時の教訓や今後の対策等を検証していくことの方が、より重要だろう。

 事故発生から、今年で4年。今年は原発再稼働の行方も気になる。国民は、事故時の対応や報道を通し、権力者やメディアが、自分たちを裏切ったことに気が付いている。災害報道においては特に、権力者の思惑等に左右されることなく、正しいことを正しく、必要としている人のもとへ届ける姿勢を貫いて欲しい。