<沖縄>辺野古で見た「戦後70年」(浜田寛子)

 そこには、アメリカがあった

 沖縄県名護市辺野古。米軍普天間基地の移設先として、日本政府がボーリング調査などを進めている。青い海、白い砂浜。絵に描いたように美しい海がある。しかし上空には、絶えず「ゴォー、ゴォー」と、音が鳴り響く。道路を走るアメリカナンバーの軍用車。まるで「小さなアメリカ」が、そこにはあった。

中国の存在を懸念か

 辺野古への米軍基地移設に反対運動をする人らが集まるテント村を訪ねると、10 人ほどが集まっている。県外から基地問題について知ろうと訪れたという人もいた。LINK 沖縄取材班は、写真家の山本英夫さんに話を聞いた。

 山本さんは、「基地問題は今に始まったことではない」と語り始めた。1945年に沖縄戦が始まった頃から、米軍は沖縄に基地を作ることを目論んでいた。事実、米軍は45年から絶えず沖縄の離島も含めて、飛行場や爆撃場を作りつづけてきた。普天間基地も45年に飛行場として完成した。

 しかし基地周辺は市街地で、安全性に問題がある。04年8月13日には、宜野湾市にある沖縄国際大学に米軍のヘリが墜落。死者こそ出なかったものの、基地の危険性がどれほどのものか、沖縄県以外の国民にも訴えた大きな事故だった。

 政府は、公には「普天間は市街地で危険だから、辺野古へ」と移設を希望しているが、本音は別にあるのではないかと山本さんは指摘する。対中関係への懸念が理由のひとつだという。「実は、アメリカよりも日本政府が辺野古にこだわっている」と山本さんは話す。「アメリカは、グアムやオーストラリアへ基地移設を希望しているが、沖縄では中国からの距離が近すぎるため、有事の際に抵抗する間もなく攻撃されると考えている。しかし、日本政府は昨今の中国の動きを懸念し、「抑止力」としても辺野古に基地を作りたいと考えている」。辺野古の湾岸(正式名称:大浦湾)は水深が大きいため、より大きな戦艦をかまえることができるとしているそうだ。

基地移設に反対する座り込み

 辺野古の米軍基地の前には、反対する人々が座り込みをしている。集会の参加者によると、多いときでは1日に延べ240人が集まるという。取材班が訪れた金曜の正午は40人以上が集まっていた。男女問わず、年齢は40~60代くらい。表には「新基地阻止」、裏には「MARINES OUT」と書かれたプラカードを持つ人や、「ヘリ基地反対協」と書かれた旗。訴え方はさまざまだった。

 基地移設反対運動に反対する辺野古で見た「戦後70年」人々との対立も絶えない。「皆さん、もうやめましょう。座り込みなんかやめて帰りましょうやー。中国にやられるぞ!」。スピーカーで叫びながら通っていく車。毎日のように嫌がらせの言葉をかけられる。

「戦後70年」沖縄で続く戦い

 沖縄には、今もなお闘い続けている人が多くいる。沖縄取材中によく聞いた「もうだまされない」という言葉。今でも沖縄と日本政府の対立は根深い。私たちにも基地問題の根深さを知り、理解しようとする努力が必要だ。基地移設をめぐる対立を目の当たりにし、「戦後」という言葉に虚無感をおぼえた。